五十鈴改二

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五十鈴改二(いすずかいに)

長良型 2番艦 軽巡洋艦

五十鈴は、大正時代に建造された長良型軽巡の2番艦。
韋駄天さはもちろんだけど、私の歴代艦長の中からは、あの山本五十六提督、
山口多聞提督など後の海軍を支える人物が多数輩出されたの。凄いでしょ?

旗艦にすれば改修工廠で三式爆雷投射機や三式水中探信儀を改修できるようになる

対潜値が最強の軽巡。対空も軽巡最高である。装甲も軽巡トップクラス

ケッコンカッコカリで耐久、回避、索敵、対潜、運がさらに上がる

レベル100で耐久50になる。運は3~6プラス

レベル150のときのステータス 回避98、索敵81、対潜114

五十鈴改二(Lv50)

五十鈴改二 近代化改修後ステータス (レベル99)
耐久 44 火力 59
装甲 69 雷装 79
回避 60(79) 対空 84
搭載 0 対潜 74(94)
速力 高速 索敵 37(59)
射程 13
最大消費量
燃料 25 弾薬 30
装備
22号対水上電探
21号対空電探
三式爆雷投射機
装備不可

大正年間に多数建造された5500トン型軽巡洋艦の長良型の高速軽巡洋艦

南太平洋海戦と第三次ソロモン海戦に参加。一時航行不能に陥る損害受けた。損傷復旧以後は輸送や救援活動に従事。
1943年12月5日、ルオットでアメリカ機動部隊の空襲を受け損傷し日本に帰還。

損傷復旧中の五十鈴の主砲7門をすべて撤去のうえ、連装高角砲3基6門に換装した。(対空が高いのはこのため)
戦局の悪化により五十鈴改二に続く艦は出現せず

5500トン型軽巡の中で改装では、五十鈴改二のみが対空装備の他対潜装備も増備された、改装中に対潜掃討部隊の第31戦隊に当初予定されていた名取に代わって電探や対潜兵器が充実していた五十鈴改二が対潜掃討部隊に編入された

1944年9月14日に改装を終えた五十鈴改二は対潜掃討に従事することなく、レイテ沖海戦に投入された。当時水雷戦隊が不足していたため、対潜掃討部隊とは言え半ば水雷戦隊のような第31戦隊を応急対策として対空戦隊として投入したものであった。この海戦において、敵13機を撃墜したとされる。
レイテ沖海戦で生き残った五十鈴は11月に入り、フィリピン方面に回り輸送任務に従事する

1944年11月19日、コレヒドール島沖で米潜水艦ヘイク の魚雷を艦尾に受け舵を流されるなど大破した。駆逐艦桃の護衛によりシンガポール、ついでスラバヤで修理を行う。

1945年3月25日付で第十方面艦隊付属となった。
4月1日に修理は完了。五十鈴改二はティモール島をはじめとするスンダ列島所在の陸軍部隊を撤退させる「二号作戦」に投入された。

4月4日に水雷艇雉、掃海艇2隻とともにスラバヤを出撃。途中米英潜水艦に狙われるも無事にティモール島クーパンに入港し第48師団の将兵を収容。

4月5日夜にクーパンを離れて帰路についた

4月6日にはオーストラリア空軍による攻撃を受けた。攻撃は2回あり、B-2520機による1回目の攻撃では損害は無かったが、2回目のB-249機による攻撃では至近弾2発により舵が故障した他不発であったものの艦首に爆弾1発が命中した。3機を撃墜。続いて潜水艦による攻撃があり掃海艇一二号が撃沈された。五十鈴改二はスンバワ島のビマに入港し、そこで第48師団の諸兵を降ろして第46師団を乗せた。
4月7日早朝、ビマを出港した五十鈴改二は米潜水艦ガビラン から1本、チャーから3本の魚雷を受け8時46分頃に轟沈した

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